ジャニオタをやりつつ、吹奏楽部のまとめ役として苦悩し、その苦悩と向き合うために部屋でギターをかき鳴らしてクリープハイプを歌っていた博多っ子植村美百合は、京都の大学生になってこれからどこへ向かうのだろうか
ジャニオタと邦ロック弾き語り
──前から聞きたかったんだけど、ジャニーズから邦ロックに行く、その道筋ってどんな?
「もともと、うちはおばあちゃんの代からジャニオタなんですよ。おばあちゃんもお母さんもジャニオタ。なので、自然とジャニーズを見せられていた、というか。でもわたし、実はそんなにハマってなくて。わたし多趣味なんで、なんなら女性アイドルが好きだったんですよね。で、バンドもその時全然聴いてて。全部…、同時に全部好きなんですよ。でもジャニーズからデビューした子を好きになってから、ジャニオタをのっぺり10年間やって。コロナで会えなくなって、その辺で終えました」
──邦ロックとかを聞き始めたきっかけは?
「クリープハイプです。小学校5~6年のとき……。あと、相対性理論がめちゃ好きで、ずっと聞いていました。小学校を卒業したくらいのタイミングでギターを始めたんですよ。それで、まあジャニーズの曲なんて弾かないから、好きなバンドの幅が広がった、という感じはありました」
──ギターで弾き語りをしていたっていうこと?
「そうですね。アコースティックで、中学時代。コソコソと」
──文化祭に出たりとか、そういうのは?
「中学は吹奏楽やっていたので、弾き語りはコソコソやってました」
フルートとディズニーメドレー
──おぉ。吹奏楽部はでなにやってたんですか?
「フルートです。なんか、体験入部でフルート吹けちゃったんで。もう、即、『はい、あなたフルート』って。大好きな先輩がクラリネットだったんで、むしろクラリネットやりたいって思ってたんですけど、リード楽器は本当に相性悪いみたいで、鳴らなくてダメでした。金管もダメで。本当にフルート以外鳴らなかったんです」
──どんな曲をやったんですか?
「中学3年生になったとき、レパートリーや演出を決める役職をやらせてもらえたんで、もう全部ディズニーのメドレーをやろう、と決めたことがあって。それがもうめちゃくちゃ楽しかったです」
──演出も?
「やりました。『アラジン』のメドレーをやるんだったら、やる前に、『アラジン』の歌を歌ってから入るとか、劇をやってから入るとか。「歌いたい!」とか「劇やりたい!」とか言ってくれる子たちがいたんで、その辺を拾って」
──稽古も植村さんがちゃんと付けたんですか?
「させましたよ(ドヤ顔)。めっちゃ細かく、めっちゃ怒ってやってました」
辛かった部活を支えてくれたのはクリープハイプ
──それは、いい経験として植村さんのなかに残っていますか?
「いやぁ……。当時はもうやめたかったです。わたしは、上下関係とか……。顧問の先生とも毎回毎回揉めて、とか。あまりいい思い出ではなかったです。すごいやめたかったです」
──そういう感じって、今から見たら少しは変わった?
「卒業してからは、やっぱりめちゃくちゃ濃かったな、と思います。今同じ立場になるとしたら、あそこまで感情的にはなれないなぁ。すごい泣いてたし。上手に言葉にできなくて。わたし、うるさかったんじゃないかな……」
──そんな時に、音楽に支えられているって感じたことはありますか?
「クリープハイプにはめちゃくちゃ助けられたなぁって思います。吹部でイライラしてきたときも聴いてましたし、よく歌ってました」
熱心で、一本気だからこそ時々空回りもしてしまう。負けん気の強さの奥には、少し不器用な繊細さが顔をのぞかせる。植村美百合が京都でこれから音楽とどんな取っ組み合いをするのか、とても楽しみである。(聞き手:安田昌弘)