
昔は生活体系が農業だったんで、お互い助け合わないと成り立たないんでね。田んぼや山へ行く道作りしたり、用水路を確保するとか、稲刈りを助け合ってやるとか。そういう共同体意識を高めないと村が成り立たないので。多分、一つの娯楽的な意味合いとしてだけではないものが鉄扇踊りにはあったんだろうな。
保存会の交流や関係について
◉おふたりは保存会に入ったタイミングで、鉄扇踊りで男女の知り合う関係を見た瞬間とかはありましたか?
渡辺:ないなぁ
岡本:そうね、踊り手の中川さんあたりだと歴が長いし、そういう話聞いてみるといいね。昔は鉄扇踊りが盛大やったんでね。今はイベントの時にしかやらないけど、昔は下り松の所でやったりとか、お寺の境内でやっていたり、色んな場所があってね。
◉そうなんですね。確かにそこだと出会いがありそうですね。
岡本:そうね。今もそうだけど、男女が一緒になってなにかやるというのはないじゃない。昔はそういう場で声を掛け合ったりとか色々な話ができたのではと思う。だから昔は地域の集まりってものがたくさんあって、地域の結びつきがものすごい強かった。
渡辺:男女で練習しているのって最近やな。
岡本:そうよね、以前は練習を別々にやっていた。
渡辺:女性は女性でやってたみたいやな。
◉そうやったんですか!? 練習会で、音頭が終わったタイミングに踊り始めと終わりの立ち位置が同じだったりすることが何回かあって、すごい連携だと思っていました。
渡辺:別にそんな合わしてたんじゃない(笑)。偶然だと思います。
◉音頭が終わって、踊り手のみんなで「きれいに終われたね」って拍手をしているのが印象的だったので別々なのは驚きです。
岡本:昔は色々な集まりがあったけど、男と女は別れてたんだよね。男だったら同じような年代の若い人が集まるところがあった。
渡辺:いわゆる飲み会やな。
岡本:食糧事情もあまり良くなかったから、みんなで持ち寄って。当番制になってて、飲み食いをやっていたのよ。
渡辺:各家々でね。
岡本:女性は、地元で育った女性と嫁いできた女性がいる。嫁いできた女性は馴染みにくくて、家にいるとストレスがかかるじゃない。姑も仕事もきついから、息抜きになる集まりがあって、今でも一部は続いてるところがあるんだよね。
◉ママ友の集まりみたいな感じですね。
岡本:そんな感じかな。今みたいにLINEとかのネットがないから、そこで情報交換をしていた。怖いのはそこで噂立てられるとか(笑)。
◉リアルですね(笑)
岡本:男女関係も気を使ってるのは、噂になっちゃうと一気に広がるからさ。母がよく言ってたけど、一乗寺というのは北と南で別れていて。うちの家は北の端にあるわけ。北の端で「ネズミが逃げた」って言ったら、南の方では「牛が逃げた」になっちゃう(笑)。
◉面白い話ですね(笑)。伝言ゲームみたい(笑)。
岡本:いい面もある反面、変なこと言えない。伝達ゲームみたいなものですよ。 あることないことが広がっちゃう。
◉スケールがまるっきり違いますもんね。ネズミと牛じゃ。
岡本:昔は生活体系が農業だったんで、お互い助け合わないと成り立たないんでね。田んぼや山へ行く道作りしたり、用水路を確保するとか、稲刈りを助け合ってやるとか。そういう共同体意識を高めないと村が成り立たないので。多分、一つの娯楽的な意味合いとしてだけではないものが鉄扇踊りにはあったんだろうな。
昔の鉄扇踊りについて
◉昔の鉄扇踊りは盛んだったと聞きましたが、踊りの最中も世間話はしてましたか?
渡辺:いや、それはない。
◉それは終わってからなんですね。八大神社で踊った感じに似ていますね。
渡辺:そうやね。
岡本:鉄扇は念仏踊りから来てるんでね。割と静かな宗教的な色合いが残ってるから、江州音頭みたいな派手なイメージとは違うんだよね。
◉祈りの方に近い感じですか?
岡本:そうですね。ずっとそれから派生してきてるんだけども。そういう意味では地味だよね。
◉祈りの部分が一番しっくり来たかもですね。周りの地域にもこのような踊りがあるんですかね?
岡本:あるね。ここは鉄扇音頭で、北白川にも鉄仙踊り[漢字が「扇」でなく、「仙」]があって、修学院に紅葉音頭があって、松ヶ崎は題目踊り。それから八瀬にもあるし、大原にもある[八瀬は「赦免地踊」、大原は「八朔踊」]。この辺にずっと踊りがあるんだよね。
渡辺:他には岩倉もある。
◉そんなにあるんですね!?
岡本:我々はどこがどう違うかよくわからないんだけども、多分、基本は似てると思ってる。村ごとで少しずつアレンジされて、独自につながって保存されてきて、それがどんなふうに変わってきたか興味があってね。
◉そうですね。
岡本:このような踊りは、元々祇園で始まったって聞いたけどね。この辺りは、比叡山延暦寺の影響が大きかった。延暦寺の領地は祇園まであって。その名前は、「祇園精舎の…」って平家物語に出てくるでしょ。祇園には坊さんが遊びに行くから(笑)。祇園で始まって、後に北に広がってきたという話を聞いたんだけれど、どこまで本当かわからないんだよね。我々が知ってるのは、江戸時代の中期に「鉄扇」という延暦寺のお坊さんが宗教目的で始めたっていうこと。それがだんだん民衆の中に入り込んで、少しずつ変えられて踊りやすいかたちで地域に残っていったんだと思う。
◉なるほど。
岡本:歌い文句や節や踊り方が、北白川と修学院そして一乗寺、お互いに隣同士なんだけど、似ている部分や違う部分があってこれを調べると面白いと思う。


