輪の中で受け継がれる一乗寺鉄扇踊り

12月某日、お釈迦さまが祀られている釈迦堂で鉄扇踊りを長年支えてきた踊り手の中川さん、奥村さんに、インタビューをした。お二人が幼い頃に体験した踊りとの最初の出会いから、念仏踊りやハミダ踊りと呼ばれていた時代の記憶、鉄扇踊りとして保存会が立ち上がった背景、そして現在の活動に至るまでの歩みを伺った。

鉄扇踊りとの出会い

◉一番最初の鉄扇踊りとの出会いはありますか?

中川:私が覚えてるのは、お寺について行って、いっぱいおばあさんたちがお寺にお参り来てはるのよ。で、お参りが一段落した時にそのおばあさんが「あんたちょっとこっち来て」って言うて鉄扇踊りを教えてもらったの。

奥村:お寺で踊ってたん?

中川:踊ってへんよ、教えてもらってた。「次教えてあげるからまたおいで」って言わはって。それで近所の子も誘って。確か10歳ぐらいの時だったと思います。 

奥村:だから10歳から15歳ぐらいまではその踊りをしてたわけや。

◉その時に教えてもらった人が、中川さんのお師匠さんですか? 

中川:師匠やな。みんな結構年配やったから、座ったままで正座しててその周りを踊るんやけど。「こっちの足やろ」って怒られてばっかり。そんなん分かるわけないのにな。

奥村:ほんまやな。 そんなん見て覚えるものと違うで。 

中川:そうそう「はい右足、はい左足、はい後ろ、ここはちょっとだけ」とか。その間に「手はそんな手してたか」って。なにをしたらいいのかわからへんいう感じ。その中で、向かいのおばあちゃんが一番怖かった。

でもそういうのが好きやったから。上手にできんひんでも、怒られてでも、また教えてもらおうという気持ちがあった。そやからおばあさんが集まるところにはできるだけ行って教えてもらったりとか。

下がり松のちょっと広いとこで踊って江州音頭の盆踊りとか鉄扇踊りとか、いろんなことやってくれた。一年に一回だけやけど。 

奥村:それ何年くらい続いたんやろ? うち、お父さんにも聞いててんけど、そんなん覚えてへんって。

中川:もう早くになくなって、中止というか。車の量が増えたでしょ?

奥村:それであそこでそんな盆踊りができへんようになって。

中川:車止めて遠回りしてもらわないとあかんから、文句が出てくる。

奥村:それでなくなったんやと思う。

中川:その時は男も女も一緒に踊ってた。江州音頭も踊ってた。 

奥村:踊ってたって言うてたな。

中川:いいもんなんよ、結構。踊るとね、見てるだけやと楽しくないけど、自分がそこに入ったらなんとなしに楽しいから。

日常と鉄扇踊り

鉄扇との​出会い、学生時代の思い出

◉鉄扇の保存会はいつから参加されていますか?

私は新しいんです。まだまだ1年半くらいですかね。2年前の夏から練習に参加させてもらってるから。

◉元々一乗寺にはいましたか?

地元が岡山で大学入学で京都へ来たんですけど、その時に何年か下一乗寺に住んでいたことがあって。ただ、鉄扇は上一乗寺じゃないですか。上一乗寺については全然知らなくて、鉄扇のことももちろん知らなくて。白川通りを越えるともう修学院だと思ってて、上一乗寺っていう地域があることも知らなかったくらい。

◉そうなんですね。確かに上下(上一乗寺と下一乗寺)で雰囲気違う感じありますよね。

それで改めて一乗寺に引っ越してきたのが3年ちょっと前くらいですね。そこでたまたま子どもが児童館で鉄扇踊りを教えてもらって、納涼祭で踊るっていうのを知って。私も一緒に教えてほしくて、お願いしました。

◉元々盆踊りに興味はありましたか?

そうですね。私、学生の頃に専攻してたのが日本美術史で。江戸時代の美術が専門だったんです。だから割と庶民に根付いた文化というか、日本文化の中でもそういうものに興味がありました。あと学生の頃盆踊りが好きな友達がいたんです。盆踊りシーズンになるといろんなところの盆踊りに行ったりするくらい。そういうのに一緒に行ったりしてて、なんか楽しいなと思って。

◉では鉄扇踊りとの出会いはお子さんが習ってたことがきっかけなんですね。

そうですね。保存会の人たちが学童(修学院児童館)に教えに来てくれて小学校の数年間、年に一回だけでも実際に踊ってみるっていうのは、本当に大事だと思うんです。

私が小学4年生の頃、父の仕事の都合で転校していたことがあって。その転校先が岡山の高梁市っていうところなんですけど、城下町なんですね。だから盆踊りも昔からあって。今より断然ゆとりのある時代でしたし、授業の一環で夏になると地元の盆踊りを習ってたんですね。今はもう全然覚えてはないんですけど、盆踊りが楽しかったっていうのはなんとなく体に染みついて残っているというか。

そういうのを考えると、学童で年に一回でも教えてもらえるのって、記憶のどこかにずっと残っていくから本当に大事やなと思います。

◉そうですね。私たちも”子供の頃に習ったことのある踊り”くらいの認識で広まればいいなとは思っています。

一乗寺フェスもすごい楽しかったですもんね。盆踊りをしようと思って来た人じゃなく、たまたまフェスに来たっていう人もどんどんいつの間にか踊りの輪に入っていて、みんな本当に楽しそうに踊ってるなと思って。

◉あの盛り上がりは私たちもびっくりしました。笑

一乗寺フェスのメガヒッツ盆踊りの様子。鉄扇保存会のみなさんと近郊のみなさんが30分間踊り続けた。

盆踊り好きから見る鉄扇踊り

ヒデドンさんの写真

11月26日、私たちは一乗寺のとあるカフェでヒデドンさんにインタビューした。ヒデドンさんは盆踊りが大好きで、正しく踊るよりも楽しく踊ることに重きを置いている。私たちは、盆踊りに詳しいヒデドンさんから見た鉄扇踊りはどのようなものか、また大学生としてどのような姿勢で取り組むべきかが気になり、質問をぶつけてみた。

盆踊りとの出会い

◉ヒデドンさんにとって、盆踊りは生活のなかでどんな位置づけにあるのか聞かせてください。

ヒデドン:人との関わり合いかな、「メディア」みたいなもの。最初はそんな意識なかったけど。

◉きっかけはなんですか?

ヒデドン:友達が郡上八幡の徹夜踊りに行った時に「手拭い持って浴衣着て、郡上八幡の徹夜踊りにきました。」ってインスタを上げていて、その友達は「そういうことをしないタイプ」だったんで、疑問に思って興味を持ったのが一番最初。

◉なるほど。

ヒデドン:翌年か翌々年にそいつと一緒に徹夜踊りに行ったんだけど、日本で唯一途絶えずに続いている場所に行って盆踊りの価値観が変わったって感じかな。多分鉄扇も昔はそういうのがあったと思う。それが行政の力で出来なくなって。最初はただ踊るのが楽しくて。自由に踊るのは自分にはできないけど、型にそって踊ると楽しいなぁて。最初は郡上に行って、京都でも行き始めて、同時ぐらいなんだけど、海外からの観光客も京都に来たら普通に盆踊りに来て参加する人もいるので、都市部の祭りだとその時に外国人に話しかけて喋ったりして。

◉自分からですか?

ヒデドン:片言でね。日本人だとやっぱりちょっと壁あるし。外国人と話しててなんかおもろいなぁっていうので、外国人と話してて、踊りのときに人と繋がるのも楽しいっていうことに気づいて、それから日本人の仲間とも繋がってきたから。

◉なるほど。鉄扇踊りはなんで知りましたか?

ヒデドン:岸野さんのXで去年の5月、6月ごろに「自分はこういうことを京都でやってます」みたいなポストを見て、ちょうど興味があって。その年の一乗寺フェスではクラウドファンディングがあって、それまでお金を払って盆踊りに参加するのはやったことなかった。でも、ただフリーライダーとして参加している自分にも疑問があって、そこまでやっているのに無料で行くのが当たり前みたいなのもちょっと違うなみたいな。「お金払って行く盆踊りはどんな感じなんだろう」と思っていってみたっていうのが一乗寺との接点で、その時に岸野さんも来てて、当時はメガヒッツ盆踊りの存在を知らなかったんだけど……。そういう人は京都に来たなかで結構印象に残っていて。自分のなかで初めて京都以外とかいろんなところの盆踊りに参加しようっていうギアを入れたタイミングで岸野さんをフォローしたのかな? で、岸野さんが一乗寺でこういう活動をやってますって言ってるころにちょうど松ヶ崎に引っ越したんだけど。

◉そうなんですか。

ヒデドン:近くやけど、ちょっと面白いかなみたいな感じでぬるっと参加してみたっていうのが、一乗寺の鉄扇踊りとの接点の始まりです。

過去と現在、保存と継承

2025年11月26日、私たちは鉄扇踊りの練習の場でもある一乗寺薬師堂で、保存会の会長・渡辺博さんと副会長・岡本和男さんにインタビューを行った。鉄扇踊りを支える重要なポジションのおふたりが文化の「保存」と「継承」に対してどのようなことを考えているのか、昔と今の時代背景と共に聞いていこうと思う。

鉄扇踊りを始めたきっかけ

◉渡辺さんが鉄扇踊りの保存会に入ったのはいつごろですか?

渡辺:平成12年[2000年]やから今から何年なのかな。

◉長いですね! 平成12年ってことは25年くらい前ですね。入る段階では、鉄扇について知ってたんですか?

渡辺:名前も踊りもだいたい知ってました。音頭は子どもの時から自分がやっていて見たことあります。

岡本:その時の保存会にいた女性の方は何人ぐらい?

渡辺:そうやな〜 結構多かったで。もうそれこそ、地元の人ばっかりやったけど。

岡本:20人ぐらいいた?

渡辺:うん、それぐらいいたやろうな。その時はまだ中川さん(中川節子、副会長)は若手やった。中川さんはその前から入ってはった。踊りの方でな。

◉そうですね。改めて中川さんにもインタビューをして掲載する予定です。

渡辺:思い出話というと、一乗寺郷土芸能保存会が、京都市無形文化財の指定になったのは、昭和62年[1987年]か?(と言って岡本さんに訊く)

岡本:そのぐらいやった。資料をみたらわかると思うけど1。保存会ができたのは、同じ頃やね。今言ってた京都会館でやったっていうのが昭和62年の2月22日って書いてあるね。

京都市文化観光資源保護財団主催の『第17回郷土芸能のつどい』(1987年2月22日)の様子〜30分11秒あたりから一乗寺鉄扇


渡辺:その時はまだ景気が良かったから、京都市主催の色々な催しがあったんや。京都会館でやったりとか、平安神宮の前の通路でやったりとか、御池通をパレードしたりとか。

◉そこで鉄扇踊りをされたんですか?

渡辺:そうそうそう。それと他には造形芸大[現、京都芸術大学]に立派な舞台があるやろ?「こけら落とし」[新築や改築した劇場などで初めて行われる催しのこと]の時に呼ばれて鉄扇踊りをしに行ったりしたな。

◉そうなんですね。今のように、町のみんなで踊るような感じでしたか?

渡辺:いやいや、踊りは保存会の人たちだけや。

◉それを町の皆さんが見てた感じなんですね。

渡辺:そうそう。春秋座っていう劇場やった。立派な舞台や。

◉他にそういった思い出はありますか?

渡辺:京都で国体[1988年開催 第43回国民体育大会]があった時も出たね。その時に我々が知ったのは、福井県の熊川宿にも鉄扇踊りがある2ということを知ったわけ。その時の師匠が河村さんっていう人やったんやけどね。その人に連れてもらって熊川へ行ったんや。村祭りみたいなのがあった時に、毎年のように3年ぐらい続けて呼んでもらったかな。そのような交流がある。このあいだの8月31日に八大神社であった八朔祭にも熊川宿から来てはったやろ。

◉来られてましたね。今でも関係が続いてるんですね。

渡辺:そう。続いてる。向こうは後継者がいないかなんかで、もうあんまりやってないみたいやけどね。こっちもしばらくそんなんで行ってないね。向こうからは来てもらってるけど、こっちから行ったのは5、6年ほど前かな。そのような交流は今でもあります。

◉ちなみに岡本さんは鉄扇踊りとどういう出会い方をされたんですか?

岡本:僕の両親が鉄扇踊りをやってた。

◉そうなんですね!

岡本:僕は一乗寺の生まれだけども、前は仕事で東京の方に居たんで40年ぐらいは地元を離れてたかな。そこから定年になって一乗寺に戻ってきて、すぐにというわけではなく親の介護をして両親を看取ってからですね。だから、僕はまだ歴が浅くてまだ本当に5年も経ってないかな。

◉そうなんですか!? 保存会内の資料を作ったりされていたので、古株なのかと思っていました。

岡本:そうですね。保存会では事務的なことをしています。 家に父が残した資料があったりするからね。古いテープも父が残してたもので、当時の資料があったりするので。

◉岡本さんは5年前ということは、大体コロナぐらいのタイミングで?

岡本:コロナ後から僕が入りだしてね。音頭は直接聞いてないと歌えないわけよ。そうすると残ってる人が少なくなって、せっかく父がやっていたのに、ここでちゃんと繋がないと途切れると思ったのがきっかけかな。

普段の​生活と鉄扇の関係

◉鉄扇踊りに関わるようになって、みなさんの生活の中に鉄扇踊りがどう入り込んでいっているのか気になります。

渡辺:それは全然考えてなかったな。すんなり入って普通にやっている感じで、特別扱いもなにもしてない。

◉そうなんですね。日課的な感じですか?

渡辺:そうやね。今みたいに定期的に練習なんてしてないしね。お互いに会ったら一回やろうかみたいな感じで、月に一回とかそれぐらい。

◉生活してて、知らないあいだに口ずさんでいるみたいなとこってありますか?

渡辺:いやぁそれはないね(笑)。ないけど毎年納涼祭とかにはちょっと前もって練習したりはしてた。

◉練習会以外でですか?

渡辺:そうそう、集まってね。

◉そうなんですね。

岡本:もう亡くなられた方だけど、その方の話を聞いた時は散歩しながら音頭を口ずさんでたみたい。自分たちは全然覚えてなくて歌集を見ちゃうんだけど、前の世代の人は鉄扇踊りが生活に密接していたと思うよ。昔は、娯楽がそんなにないから、踊りのそういう場で男女が知り会ったりとかしていたのではないかな。