
昔はみんなでちょっとした広場で輪になって、真ん中に櫓を建てて音頭をしてっていうのがどこでもあった。この辺もそれがあって、その時に「ハミダ踊り」をやったりとか。いろんなのが歌われるんやけど、踊りは大してなにも変わりはない。
念仏踊りと鉄扇踊り
◉鉄扇踊りを調べていて気になっていたんですけど「念仏踊り」と「鉄扇踊り」は別物という認識でいいんですか?
奥村:うん。念仏踊りと鉄扇踊りてまた違うねん、念仏踊りっていうのは昔々の踊り。
中川:「ハミダ踊り」のことやな。
奥村:そう「ハミダハミダ」て書いてあるわ。
中川:せやろ。
奥村:これ(資料)読んでたら。「ハミダハミダ言うて踊ってた」ってことも書いてあるし。そこから鉄扇になって、鉄扇の踊り方とか、ここに全部書いてある。「跳んだり跳ねたりとかという動作はなく、テンポはやや優雅であるらしい」1とかね。昔はほとんど男の人が踊ってはったもんな。あの下がり松のとこで。
中川:そうそう、あそこの松の木のとこ。昔はあそこの四つ角みたいなんが広く感じた。今では小さいんやけどね、あそこに輪を作って。盆踊りっていうたらあそこ。
奥村:これに書いてあった。「朝まで踊ってた」2とか書いてあった。
◉ 朝まで!? すごいですね。
中川:楽しみはそんなんしかなかった。
奥村:そうそう。 それぐらいやったんやな。
中川:当時は保存会とかそんなんはない。お年寄りが覚えてて集まった時に楽しみでやってるくらい
◉この資料は保存会で作ったんですか?
奥村:この資料3は踊り手の先輩から引き継いでん。
当時は叡電もなく、京の町へ出るのに往復十キロ以上を歩かなければならない片田舎で(大正時代、叡電が通るまで出町から三宅八幡まで乗り合い馬車があったが、夜は走らない)。(p. 21)
そんな昔やで
毎日が”朝星夜星”。夜は”夜なべ”で寸刻の休みもない農村生活の唯一のストレス解消の場として、又、豊作凶作を共に喜び共に悲しみ、一旦、干天洪水ともなれば、皆で、”たいまつ”を持って比叡山頂まで雨ごいに行ったり、上高野の太田川の井端へ走ったり、上高野の大田川の井堰へ走ったり、この時は水利の利害を巡って松ヶ崎や下鴨村と実力行使で争わなければならないこともあったり。臭い話ではあるが肥料にする京の街屋のの屎尿の汲取権の確保にも村民の団結を必要とした時代(pp. 21-2)
松ヶ崎やらもめたよな。皆そうやって書いてくれてるし、昔こんなんやったんやと思って。
◉ すごくいい資料ですね。
奥村:そうそう。これは一乗寺鉄扇、これが修学院の紅葉音頭で、これが松ヶ崎の踊り。これは鳥居型送り火、上高野の念仏も書いてあるよ[別の資料4を見ている]。みんな同じような感じやな。で、市原はハモハ踊りで鉄扇って書いてある。これは鉄仙流白川。白川も鉄扇流の私らとはまたちょっと違うらしいな。
中川:そうやろうな。
奥村:そうやし、喋るよりもこれ見てくれたら一番。これは昔の踊り子の名簿やらがみんなある。これは芸能保存会やから。
◉それは今の一乗寺郷土芸能保存会と一緒ですか?
中川:そうやね。
奥村:そのなかの鉄扇やな。だから、芸能保存会っていうので、昔は私ら会費をみんなもろたやん、補助金がなくても多く人数が参加してるから会費を集めてできていた。
中川:市からちょっとでも補助金貰えばええけど、なかったから。
奥村:だから、この時は96人も寄付してくださった方がおったんやね。
◉いっぱいいますね。
奥村:踊り手は26名や。
◉26人もいたんですね。資料に2002年って書いてますね
奥村:2002年は平成14年。その時は26名いたんや。今が2025年やろ。だから23年前。
◉今の踊り手さんは何人ぐらいですか?
奥村:今12人か13人やったな。今の名簿は持ってこなかったな。
中川:みんな声かけても関心がないんやね。
◉昔はもうみんな勝手に踊っていましたか?
中川:そうそう、楽しみやもんね。みんなで集まれるのが。みんなお昼に働いて、踊りに行けると思って楽しみにしてた。
奥村:だからすごい輪やったもんな下がり松のところは。
中川:私が10歳になる前ぐらいに下がり松に行ったら輪が二重になってた。
◉一乗寺郷土芸能保存会ができたきっかけは覚えていますか?
奥村:京都会館で「第17回郷土芸能のつどい」っていうのがあったんだけど。京都会館で踊りを披露する前の年に保存会ができた。それまで鉄扇踊りは途切れてんねん。
◉では、子どもの頃は鉄扇とは別の踊りをしてたんですか?
奥村:そうやね。昔は別。だから鉄扇ていうのは京都会館で披露する前に名前が出てきたんやな
中川:私が子どもの頃は「ハミダ踊り」やったな。
◉今はそのハミダ踊りっていうのは?
中川:ないない。
奥村:もうないな。
◉もうできない ?
奥村:せやな、10歳ぐらいの頃やな、2〜3年やったかやってないかやろ?
中川:そうや。昔はみんなでちょっとした広場で輪になって、真ん中に櫓を建てて音頭をしてっていうのがどこでもあった。この辺もそれがあって、その時に「ハミダ踊り」をやったりとか。いろんなのが歌われるんやけど、踊りは大してなにも変わりはない。あの音頭に合わせて身体をゆすってはるっていう男の人と女の人がいたっていうぐらい。それでそういう場がなくなって、下り松で盆踊りがあったねんけど、それで車が通れへんって文句が出てまた途切れたねんな。
◉今の保存会ができてからは途切れていない?
奥村:今の保存会ができてからはずっと続いてる。
中川:そうそうそう、お休みがあったとしても途切れたいう感じではないな
奥村:ずーっとは続いてんな。昭和62年の1987年。ここから発足してん。


