輪の中で受け継がれる一乗寺鉄扇踊り

我々の年代でも鉄扇踊りの関心や残す意識も薄いと思う。だから我々一緒にさしてもうて。嫌いじゃないから声がかかればなんぼでもするんですけどね。一人や二人ではあかんでしょ。やっぱり何人か輪にならんと意味がない。それで言うんですけどなかなか出てきてくれはらへん。

保存会について

◉保存会を作った経緯を教えてください

奥村:保存会として鉄扇踊りが途絶えたらあかんいうことで今に至ってんな。私は京都会館のことも知らん。初めての踊りは京都芸術大学で披露したんや。そこから私は入ってん。

でもね、京都会館でやってた時もすごい人数いたねん。せやけど、おばあさんはみんな歳いってしまって。で、芸大で披露するときには年寄りがみんないなくなったから、私ら10人ぐらいは節ちゃん[中川さん]に誘われて練習させてもらってた。10人ぐらいいたよな?

中川:そうやねえ。それが続かへんねんな。

奥村:そやねん!みんな「足が痛い」とか、もう亡くならはった人もいるし。

◉なるほど…。ところで、この場所[インタビューをした場所]ってなにする場所ですか?

奥村:今の練習場所は一乗寺の薬師堂でしょ。ここは釈迦堂いうて、お釈迦さん祀ってあるんですよ。そこ開けてみたらお釈迦さんがいるから開けてみて

[実際にお釈迦さんを見に行く]

◉ほんまや、すごいですね! 釈迦堂っていうんですね

中川:だからお釈迦さん、こっちは神さん、八大神社の分身がお祀りしてあんねん

奥村:ここでお祀りしてあって、ここはお釈迦さんがお祀りしたある遺物やねんな、50年に1回ご開帳いうの? 私がきてから1回だけあったんや。

中川:これを1ヶ月──今は半月交代やけど──交代でこの町内の人が順番に掃除して、毎月15日はここで数珠回してお念仏をする場所なんです。

奥村:昔はここで練習をさせてもらって、そこから私ももう30年は続いてるな。 

中川:その時は音頭取りと歌い手の練習は別々やった。それで、八朔祭の時の1回ぐらいだけ一緒に練習しましょうって言うて練習をした。ほんまに1回ぐらいやな。

◉木曜日、月に2回練習みたいなのもなかった? 

奥村:全然それまではなく。今は月に2回させてもらってるでしょ。それまでは夏祭りがあるちょっと前に練習しましょうかって言って2〜3回だけ。ほんまに精華大学の人が来られるおかげで毎月やれてる。「やってる姿を見てもらわなあかん!」って思うってはるんや、男の人も。そのおかげで今一緒に練習ができてるんですよ。それがなかったらだいぶ廃れてたやろうな。ほんまにありがたいです。

中川:我々の年代でも鉄扇踊りの関心や残す意識も薄いと思う。だから我々一緒にさしてもうて。嫌いじゃないから声がかかればなんぼでもするんですけどね。一人や二人ではあかんでしょ。やっぱり何人か輪にならんと意味がない。それで言うんですけどなかなか出てきてくれはらへん。

奥村:若い人が入ってくれたおかげで続けていけそうやな。またそこから若い人が広がってくれたらな。

中川:やったらええんやけどね。

奥村: 我々はもう先が短い。 

中川:あんたまだやで、なんでも(笑)。 

奥村:一緒や、変わらへん(笑)。