森岡愛紗(メディア表現学部)
5月15日、私は鉄扇踊りの練習会に初めて参加するため、アルバイトを終えてバスで会場である薬師堂に向かった。夕方のこの時間は仕事や学校を終えた人で満員だ。海外からの観光客には運賃の支払い方法が難しいのか、バスはなかなか停留所から発車しない。私は、練習会に遅れてはいけないという焦る気持ちがありながら、観光客に向けられる周囲の視線を、その場の空気として身体で感じていた。この一瞬の出来事から、観光都市・京都としての地域的な問題と、時間通りに動くこととした生活リズムが、同じ公共の場でぶつかっていることが見えてくる。鉄扇踊りという伝統文化の一つの練習会に向かう私自身もまた、移動の速さや効率を重視する現代社会の流れの中で生活している一人なのだと感じた。
バス停から薬師堂まで歩く道は一乗寺の地に足を踏み入れたことへの嬉しさと、練習会に参加することへの緊張が入り混じっていた。山道の住宅街を進んでいくと、砂利が敷かれた大きな駐車場が現れ、その先には、歴史の気配を感じさせる地域の公民館のような建物が建っていた。
最初の1時間は、音頭取りの方と一緒に音頭を歌う練習をする。20時に近づくにつれ、踊り手である女性たちが次々と部屋に入ってくる。音頭の練習がひと段落すると、連絡事項の確認をして、いよいよ踊りの練習だ。初めての練習会参加で踊りについては昨年の先輩たちの動画を見たことがあるだけだった。具体的な説明はほとんどないまま練習が始まり、周りの保存会の方の踊りを見よう見まねで踊った。初めて間近で踊っているのを見て感じたことは全員が違う踊り方であることだ。踊り方は人によって少しずつ異なり、それぞれに個性が感じられた。私はその中で、どうにか動きについていこうと必死だった。約20分の踊りでは初めての参加への緊張と、「これであっているのか」と言う心配しか考えることができなかった。二度目に踊ったときには、動きが少しずつ身体になじみ、周囲を見ながら踊る余裕が生まれてきた。一人ひとりの踊り方を観察し、その間を取るような動きを意識しながら、自分なりの踊りを探っていく。大まかな動きしか決まっておらず、正解がないからこそ、説明なしでも始めることができる踊りだった。


